■共産党への注目
マルクスは世界史における巨人です。マルクスの蒔いた種は社会主義国家建設や政治闘争などの現実政治となって現れましたし、彼が社会学思想、現代哲学思想、経済学思想、政治学思想等々の諸学問に与えたインパクトは非常に大きいものがあります。
しかし、マルクスの影響と権威はソビエトの崩壊によって著しく凋落しました。以前は大学で経済学の教員に石を投げれば2回に1回はマルクス主義者に当たる、などという冗談があったくらいでしたが、マルクス学者が忽然と姿を消したのは不思議ですね(神奈川大マルクス研究学者の的場昭弘さんがいうには「マルクス研究者は絶滅品種」だそうですw)。
「共産主義革命が楽園を生み出す」という神話は崩壊し、マルクス思想は文系学問のパラダイムとして機能しなくなったように思われました。当然、このような世情は共産党加入者の低迷になります。ところが、このような情勢に反して2008年7月11日、日本共産党の第6回中央委員会総会で共産党志位委員長は
共産党員が毎月1000人規模で増加していることを発表しました。
「蟹工船ブーム」がこの党員増加の背景であるとする大手新聞社もおり、共産党内では「マルクスへの関心の結果」などとする意見が出され話題になりましたが、どうも、それらは根本的な原因を言い得ているとは私には感じられません。もう一歩進んで、蟹工船が注目されたのは何故か、マルクスが注目されたのは何故か、と考えたとき、
既存の社会政策に対する不信の結果、「貧困感」の増大の結果なのではないか、と私には思われるのです。
根本には既存の労働政策、社会保障政策への不満や「格差意識」、「貧困意識」の台頭があり、それがプロレタリア文学『蟹工船』への注目を生み出し、マルクスや共産党への興味に繋がったのではないか、と。
「日雇い派遣」問題についての共産党志位委員長の代表質問がインターネット上で大きな話題になったことは記憶に新しいことです。広がる「格差」、労働法を逸脱した企業の違法・脱法行為、非正規雇用への労働需要のシフト、非正規雇用の生活不安定化、それに苦しむ人々の声、それらを吸収しきれない与党や労組への思いがこのような結果になったと考えられるのではないでしょうか。共産党への支持拡大の原因はこういったところにあると私には思われるのです。
「もし、そうならば」、力の弱い非正規雇用者が急進化する危険性を孕んでいるように考えられます。
私は共産党党員の増加や「蟹工船」ブームの次に来る事態に懸念を覚えます。それが超国家主義運動になるのか共産主義革命になるのか大規模デモになるのか労働訴訟天国になるのか共産党増席になるのかニート増加になるのか進歩的知識人が引っぱたかれるだけになるのか、それは分かりませんが、どうにも好ましい事態は起きそうにありません。
■自由主義的市民社会下の労働者
資本論第一巻はこういいます。
カール・マルクス
資本論(新日本出版社)
それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情に対して資本は笑う−−われらが楽しみ〈利潤〉を増すがゆえに、われら、かの艱苦に悩むべきなのか? と。しかし、全体として見れば、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通させるのである。
マルクスがいうように自由競争における資本は本来的に善悪という価値観を度外視して自らの利潤を最大化するように努めます。企業の生死に関わる苛烈な自由競争のなかにおいては合理的で努力を惜しまないものが最も生存する確率が高く、さもなければ破滅が待っています。資本家は自由競争により否応なく、経営に悪影響が出ない範囲で合理的に労働コストを下げていきます。現代的なグローバル競争の中、企業は益々労働コストの圧縮に励むことになるでしょう。
かつて、市民社会とは「自由」をその根本原則にし、労働契約もまた労使当事者間の自由契約であり、そこに対して国家権力が介入することは相応しくないとされていました。また、市場が拡大し、自由化すれば、それだけ適切な資源の配分がなされ、社会は市場を通して連帯し合い豊かで暖かい世界が到来するという論も公然と出ていました。
ところが、現実は労働者個人は立場上自らの雇用先に徹底して弱く、契約に際しては資本家がめっぽう強くなるものです。労働者には養わなければならない家族がおり、職が得られなければ自らの衣食住にも事欠きます。また、単純労働者は生産においては交換可能な部品でしかなく存在価値はそこまで高くはありません。資本家にしてみれば文句をいうならいつでも追い出せばいいのです。挿げ替えが出来る以上、追い出すことによる損害は資本家にとっては些少であり、労働者にとっては大損害です(技術ある労働者や景気過熱時の労働者には価値はありますが)。労働者は劣悪な環境下での労働を余儀なくされ、上記の資本論のいうように「肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情」が生まれました。
世界史はこのような労使間の力の不均衡やそこから発生する搾取を解決するために幾つかの「修正」を施しました。労働者は組合を作り団結してストやボイコットを開始し、資本家に文句をつけはじめたのです。個人では弱い労働者も集団になれば強くなります。組合運動や戦争参加などで労働者の社会的地位は上昇し、参政権が労働者へ拡大され、国家権力は個人間の自由として尊重されていた契約関係に労働法という干渉をつくり労働者の保護を行いました。これは「自由」に対する修正です。
しかし、現代日本はどうでしょうか。低成長期に入り、グローバル化の中で企業の競争相手は世界中にいます。規制緩和も行われ企業競争は熾烈になります。当然、既存企業は生き残りを賭け労働コストを圧縮し、同時に労働の効率化を加速させようと努力するでしょう。本来違法であった「派遣労働」も合法化され、自由化は進みます(本来、中間搾取を生む労働者供給事業は違法行為だったんですよ)。労働力に対する需要も賃金や保険、社内福祉に対するコストが低く、抵抗力の弱い非正規雇用者に移っていきます(労働力調査によれば10年前と比べ全雇用者におえる非正規雇用者比率は10%も増加しています)。移民の導入という「禁じ手」も話題にあがってきました。労働法の立法・解釈を変え「弾力的」になるよう企業側から要求が生まれます。
労働者側は労働者側で組合に入るものは減り、組織率は18%程度という驚愕の数字になります。「企業内労組」は「正社員労組」であり、非正規雇用者を軽視するともいわれます。非正規雇用者は団結するのが難しく、違法労働を強いらされる事例が増えていきます。権益を主張すべき労働者が声をあげなければ、他者の「良心」に依存するしかなくなりますね。それはとても「淡い期待」でしかありません(しかし、「淡い期待」も裏切られれば不満は生まれます。その不満はどこに向かうでしょう?)。
自由化や労働コストの圧縮は企業経営や停滞する経済成長や景気にプラスに働き、財政にも好影響を与えますが、これは既存労働者の「痛み」を伴うものでもあります。組合の組織率の低下の背景には組合の不祥事、政治主張への過剰な動員、労働者の多様な労働形態への要求があります。しかし、その反面で競争に漏れたものの末路は悲惨になりました。
その最も悲惨なものたちが雨宮処凛『生きさせろ! 難民化する若者たち』というルポルタージュに書かれた若年非正規雇用者たちです。
ここに書かれた者たちは困窮しています。貧乏です。ホームレス寸前です。違法労働を強制されながら黙らざるを得ないもの、その日暮らしの賃金で生活するもの、過労死するもの・・・。セーフティーネットを突き抜ける底辺の人達がいるのではないか、そういう人達は実は努力をしても這い上がれないような現状にいるのではないか、この人達に焦点を当てて見ることは大切なことなのではないか、そう私には思われました。
■「格差社会」と「プレカリアート」
貧困感、格差感を作り出した「格差」議論は実のところ錯綜しています。
OECDの相対的貧困率が日本は高いのだから日本の貧困は酷いのである。いや、OECDの相対的貧困率はフローであってストックを無視する不完全性が伴う統計であり信用できない。ジニ係数は一貫して上昇トレンドを形成しており「格差」は開く一方だ。いや、ジニ係数の上昇は高齢化による高齢者増加によって生み出されたもので「格差」は生み出されていない。東大生の親の所得が高いのは「格差」が固定化されている状況の証拠である。いや、日本社会の地位非一貫性は高く学歴が「格差」を決定しているわけではないのだ・・・云々かんねん。
このような「格差」社会の議論も重要ですが、いつの時代でも「格差」の最底辺にいる人達に特に注目することが必要だと思います。竹中平蔵さんは「
機会の平等、再チャレンジの拡大、セーフティネットの充実」という三点を「格差」への処方箋としました(2006年5月号『文芸春秋』)。私もこれに同意します。
しかし、格差を固定化させないこととして「セーフティーネット充実」を訴える竹中氏ですが、このセーフティーネットを突き抜けて違法・不当に搾取される人々がいるとしたら、それは問題であると答えるでしょう。格差の固定化が進み、再チャレンジが出来ない人達がいる、とすればそれは問題でしょう。
非正規雇用者(アルバイト、パート、派遣労働者、日雇い労働者)と正規雇用者(正社員)とは実のところ生活や「希望」においてカナリの開きがあります。賃金や昇進の可否、生活の安定や消費生活の質なども挙げられますが、それだけではありません。非正規雇用者は職業を通してはスキルがなかなか磨けませんし、社会的評価も低いものがあります。結婚相手を見つけるのも苦労するでしょうし、養育費が掛かりますから子供をつくることなどは中々出来ません。こういう「格差」はなかなか捉えにくいですね。
となれば、
単純に統計上の賃金や消費だけではなく、そこに映らない「最下層の」「若者の」全人格的なルポルタージュが必要になってきます。全生活や人生を掬い上げることで、どの程度貧困で格差があり、漏れているのか理解が進むでしょう。雨宮処凛『生きさせろ』は中でも特に「難民化する若者」に焦点を当てたところが注目される本なのです(非正規雇用者も女性のパートタイム労働や高度専門的な派遣などもありますから若年労働者に限ってみるのは大切な視点です)。
ここに書かれた若者の現状はどうか。まさに地獄です。働いても働いても豊かにはならず、働きすぎた末に死んでいく若い労働者。アスベストの粉塵が舞う中軽装備で仕事を行わせ、違法な労働を繰り返す企業が咎められずに搾取し続けている実態。住宅費用も払えずネットカフェを行き来する準ホームレス、生活保護を申請したり、労働法を盾にして抗議できない人々・・・。
果たして彼ら若い非正規雇用者の生き方による「自己責任」のみに問題は還元されるのか、どんなに新自由主義が労働者を苦しめているか、靖国神社がどうだこうだ等、やや左翼・労働者に偏重した視点が主となって取り上げられていますが、私はそういう思想的・社会的な論じ方ではなく、ワーキングプアの若者に迫るルポルタージュを望んでいました。ここは内容的にも残念な点ではありましたが、とても興味深い本です。
■変わるユニオン
労働者にとって「組合」はとても重要な武器です。組合との団交は資本家の義務ですし、団結すれば労働者の地位は高まります。ところが、既存の労組は「第二人事部」「企業内労組」と揶揄される御用組合の性質がありました。また、「平和」や「反戦」に熱心になり、労働問題と直接には関係ない政治動員をかける事も加入が忌避される理由です。「資本主義体制の打倒」のような過激な団体や人々もいました。そのためか
組合の組織率は18%程度にまで落ち込んでいます。これは諸外国と比べても、実効的な力を確保する上でも十分な数字ではありません。
労組は「正社員労組」として貧困になりやすい非正規雇用者をアウトサイダーとして扱ってきたような気がいたします。そんな中、05年、連合の会長選では非正規雇用対策を訴える鴨桃代さんが予想外の得票数を得ました。結局、当選したのは高木剛氏でしたが、鴨氏の健闘は非正規雇用に対する一つのレスポンスだと考えられます。
労働法は正社員だけのものではなく非正規雇用者も守ります。企業内労組だけを認めているわけではありません。そこで、地域的な連帯をもった非正規雇用者を守る労組が台頭してきました。現代の「駆け込み寺」ともいわれます。フリーターやパート、派遣といった人々の不満を代弁し、団交し、相談に乗る、そんな労組です。
これらの労組にインターネットを通して参加するものもおり、インターネットの社会的影響力に大きな関心を寄せる私としてはとても興味のある話です(例えば2007年4月2日号の『AERA』参照)。非正規雇用中心の労組やインターネット労組、地域労組などが数多く生まれれば従来の労使関係、労働市場に変化が出るかもしれません。
■「格差議論」の末に
本当に格差が広がっているのか、従来よりも貧困層は増えたのか、それは議論になっていますが、生活に事欠き、搾取されている人々はいます。「格差感」や「貧困感」の問題もあります。景気の冷え込みや増税、労働コスト圧縮の問題もあるでしょう。このような世情の中で既存の包括政党や労組が「難民化する若者たち」の声を吸収できなければ、階級政党色の強い共産党への加入者が増え、蟹工船がベストセラーになるだけではない、ちょっとした社会変動や意識変動が引き起こされる可能性があります。
私は、規制緩和や自由化、財政健全化も大切ですが、違法・不当労働の駆逐、再チャレンジの増大(希望格差の縮減)、セーフティーネットの充実、公教育の強化も期待しています。