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 gdgdとここ1〜2週間程度で読んだ、再読した本をマトメて(後に独立してエントリーにするかも)。手抜きのエントリーでスミマセン。




法哲学入門 (講談社学術文庫)法哲学入門 (講談社学術文庫)
(2007/01/11)
長尾 龍一

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 ケルゼン研究で有名な日大の長尾龍一先生のご著書。『法学セミナー』での初学者向けに書かれた記事をまとめたもの。法哲学の入り口に立つための準備運動程度とご本人も考えているようで「法哲学入門」のそのまた入門ぐらいの読み物。体系的に読める基本書というよりも「読み物」色が強い本ですから、その点期待しちゃうとマズイかも。まぁ、それなりに知的刺激は受けますし、自然法と実定法の対立とか古典的な話題や法解釈論とか法哲学的内容は入っています。


 ところで、殷の伯夷・叔斉がGHQ占領改革に抗する人々に見えたのは私だけでしょうか。








反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)反社会学講座 (ちくま文庫 ま 33-1)
(2007/07)
パオロ・マッツァリーノ

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 個人的にはマッツァリーノ氏は外国人だと思っています(根拠はあるにはあるけれど、かなり怪しいため全く正確さに欠けます)。本人の自称経歴はかなり怪しい匂いを立たせていますが。日本への造詣も深いし、内容も読み物として面白いですよね。


 基本的な内容としては「常識」を疑えってことです。ちょっと斜めから見ると嘘がつかれている話、胡散臭い話なんて結構ありますもんね。もちろん、この本の内容も含めて、ですがw 


 「反社会学」というのも刺激的なタイトル。世に溢れた「社会学」が自己正当化の方便と化し、嘘っぱちを偽装し、妄想を合理化し、学術的な粉飾をつける道具になっている点を鋭く指摘しています。







トーマの心臓 (小学館文庫)トーマの心臓 (小学館文庫)
(1995/08)
萩尾 望都

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 萩尾望都先生の少女マンガ。トーマが作品中に全く出ていないのに、ここまで存在感を示しているのは驚くべきことですよね。テーマは「愛」。こういうと陳腐だけれども、利己的な愛と絶対的・犠牲的な愛との対置が示され、それが救済に繋がっている、という作品。まぁ、同性愛的な作風が漂っているので、そういうのが毛嫌いすると見れたもんじゃないんだろうけれど、テーマ的に異性愛よりかえって設定としては良いかもしれないですね。

 

生きさせろ! 難民化する若者たち生きさせろ! 難民化する若者たち
(2007/03)
雨宮 処凛

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■共産党への注目


 マルクスは世界史における巨人です。マルクスの蒔いた種は社会主義国家建設や政治闘争などの現実政治となって現れましたし、彼が社会学思想、現代哲学思想、経済学思想、政治学思想等々の諸学問に与えたインパクトは非常に大きいものがあります。


 しかし、マルクスの影響と権威はソビエトの崩壊によって著しく凋落しました。以前は大学で経済学の教員に石を投げれば2回に1回はマルクス主義者に当たる、などという冗談があったくらいでしたが、マルクス学者が忽然と姿を消したのは不思議ですね(神奈川大マルクス研究学者の的場昭弘さんがいうには「マルクス研究者は絶滅品種」だそうですw)。


 「共産主義革命が楽園を生み出す」という神話は崩壊し、マルクス思想は文系学問のパラダイムとして機能しなくなったように思われました。当然、このような世情は共産党加入者の低迷になります。ところが、このような情勢に反して2008年7月11日、日本共産党の第6回中央委員会総会で共産党志位委員長は共産党員が毎月1000人規模で増加していることを発表しました。


 「蟹工船ブーム」がこの党員増加の背景であるとする大手新聞社もおり、共産党内では「マルクスへの関心の結果」などとする意見が出され話題になりましたが、どうも、それらは根本的な原因を言い得ているとは私には感じられません。もう一歩進んで、蟹工船が注目されたのは何故か、マルクスが注目されたのは何故か、と考えたとき、既存の社会政策に対する不信の結果、「貧困感」の増大の結果なのではないか、と私には思われるのです。


 根本には既存の労働政策、社会保障政策への不満や「格差意識」、「貧困意識」の台頭があり、それがプロレタリア文学『蟹工船』への注目を生み出し、マルクスや共産党への興味に繋がったのではないか、と。


 「日雇い派遣」問題についての共産党志位委員長の代表質問がインターネット上で大きな話題になったことは記憶に新しいことです。広がる「格差」、労働法を逸脱した企業の違法・脱法行為、非正規雇用への労働需要のシフト、非正規雇用の生活不安定化、それに苦しむ人々の声、それらを吸収しきれない与党や労組への思いがこのような結果になったと考えられるのではないでしょうか。共産党への支持拡大の原因はこういったところにあると私には思われるのです。


 「もし、そうならば」、力の弱い非正規雇用者が急進化する危険性を孕んでいるように考えられます。


 私は共産党党員の増加や「蟹工船」ブームの次に来る事態に懸念を覚えます。それが超国家主義運動になるのか共産主義革命になるのか大規模デモになるのか労働訴訟天国になるのか共産党増席になるのかニート増加になるのか進歩的知識人が引っぱたかれるだけになるのか、それは分かりませんが、どうにも好ましい事態は起きそうにありません。








■自由主義的市民社会下の労働者



 資本論第一巻はこういいます。


カール・マルクス
資本論(新日本出版社)
 それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情に対して資本は笑う−−われらが楽しみ〈利潤〉を増すがゆえに、われら、かの艱苦に悩むべきなのか? と。しかし、全体として見れば、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通させるのである



 マルクスがいうように自由競争における資本は本来的に善悪という価値観を度外視して自らの利潤を最大化するように努めます。企業の生死に関わる苛烈な自由競争のなかにおいては合理的で努力を惜しまないものが最も生存する確率が高く、さもなければ破滅が待っています。資本家は自由競争により否応なく、経営に悪影響が出ない範囲で合理的に労働コストを下げていきます。現代的なグローバル競争の中、企業は益々労働コストの圧縮に励むことになるでしょう。


 かつて、市民社会とは「自由」をその根本原則にし、労働契約もまた労使当事者間の自由契約であり、そこに対して国家権力が介入することは相応しくないとされていました。また、市場が拡大し、自由化すれば、それだけ適切な資源の配分がなされ、社会は市場を通して連帯し合い豊かで暖かい世界が到来するという論も公然と出ていました。


 ところが、現実は労働者個人は立場上自らの雇用先に徹底して弱く、契約に際しては資本家がめっぽう強くなるものです。労働者には養わなければならない家族がおり、職が得られなければ自らの衣食住にも事欠きます。また、単純労働者は生産においては交換可能な部品でしかなく存在価値はそこまで高くはありません。資本家にしてみれば文句をいうならいつでも追い出せばいいのです。挿げ替えが出来る以上、追い出すことによる損害は資本家にとっては些少であり、労働者にとっては大損害です(技術ある労働者や景気過熱時の労働者には価値はありますが)。労働者は劣悪な環境下での労働を余儀なくされ、上記の資本論のいうように「肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情」が生まれました。


 世界史はこのような労使間の力の不均衡やそこから発生する搾取を解決するために幾つかの「修正」を施しました。労働者は組合を作り団結してストやボイコットを開始し、資本家に文句をつけはじめたのです。個人では弱い労働者も集団になれば強くなります。組合運動や戦争参加などで労働者の社会的地位は上昇し、参政権が労働者へ拡大され、国家権力は個人間の自由として尊重されていた契約関係に労働法という干渉をつくり労働者の保護を行いました。これは「自由」に対する修正です。


 しかし、現代日本はどうでしょうか。低成長期に入り、グローバル化の中で企業の競争相手は世界中にいます。規制緩和も行われ企業競争は熾烈になります。当然、既存企業は生き残りを賭け労働コストを圧縮し、同時に労働の効率化を加速させようと努力するでしょう。本来違法であった「派遣労働」も合法化され、自由化は進みます(本来、中間搾取を生む労働者供給事業は違法行為だったんですよ)。労働力に対する需要も賃金や保険、社内福祉に対するコストが低く、抵抗力の弱い非正規雇用者に移っていきます(労働力調査によれば10年前と比べ全雇用者におえる非正規雇用者比率は10%も増加しています)。移民の導入という「禁じ手」も話題にあがってきました。労働法の立法・解釈を変え「弾力的」になるよう企業側から要求が生まれます。


 労働者側は労働者側で組合に入るものは減り、組織率は18%程度という驚愕の数字になります。「企業内労組」は「正社員労組」であり、非正規雇用者を軽視するともいわれます。非正規雇用者は団結するのが難しく、違法労働を強いらされる事例が増えていきます。権益を主張すべき労働者が声をあげなければ、他者の「良心」に依存するしかなくなりますね。それはとても「淡い期待」でしかありません(しかし、「淡い期待」も裏切られれば不満は生まれます。その不満はどこに向かうでしょう?)。


 自由化や労働コストの圧縮は企業経営や停滞する経済成長や景気にプラスに働き、財政にも好影響を与えますが、これは既存労働者の「痛み」を伴うものでもあります。組合の組織率の低下の背景には組合の不祥事、政治主張への過剰な動員、労働者の多様な労働形態への要求があります。しかし、その反面で競争に漏れたものの末路は悲惨になりました。


 その最も悲惨なものたちが雨宮処凛『生きさせろ! 難民化する若者たち』というルポルタージュに書かれた若年非正規雇用者たちです。


 ここに書かれた者たちは困窮しています。貧乏です。ホームレス寸前です。違法労働を強制されながら黙らざるを得ないもの、その日暮らしの賃金で生活するもの、過労死するもの・・・。セーフティーネットを突き抜ける底辺の人達がいるのではないか、そういう人達は実は努力をしても這い上がれないような現状にいるのではないか、この人達に焦点を当てて見ることは大切なことなのではないか、そう私には思われました。








■「格差社会」と「プレカリアート」


 貧困感、格差感を作り出した「格差」議論は実のところ錯綜しています。


 OECDの相対的貧困率が日本は高いのだから日本の貧困は酷いのである。いや、OECDの相対的貧困率はフローであってストックを無視する不完全性が伴う統計であり信用できない。ジニ係数は一貫して上昇トレンドを形成しており「格差」は開く一方だ。いや、ジニ係数の上昇は高齢化による高齢者増加によって生み出されたもので「格差」は生み出されていない。東大生の親の所得が高いのは「格差」が固定化されている状況の証拠である。いや、日本社会の地位非一貫性は高く学歴が「格差」を決定しているわけではないのだ・・・云々かんねん。


 このような「格差」社会の議論も重要ですが、いつの時代でも「格差」の最底辺にいる人達に特に注目することが必要だと思います。竹中平蔵さんは「機会の平等、再チャレンジの拡大、セーフティネットの充実」という三点を「格差」への処方箋としました(2006年5月号『文芸春秋』)。私もこれに同意します。


 しかし、格差を固定化させないこととして「セーフティーネット充実」を訴える竹中氏ですが、このセーフティーネットを突き抜けて違法・不当に搾取される人々がいるとしたら、それは問題であると答えるでしょう。格差の固定化が進み、再チャレンジが出来ない人達がいる、とすればそれは問題でしょう。


 非正規雇用者(アルバイト、パート、派遣労働者、日雇い労働者)と正規雇用者(正社員)とは実のところ生活や「希望」においてカナリの開きがあります。賃金や昇進の可否、生活の安定や消費生活の質なども挙げられますが、それだけではありません。非正規雇用者は職業を通してはスキルがなかなか磨けませんし、社会的評価も低いものがあります。結婚相手を見つけるのも苦労するでしょうし、養育費が掛かりますから子供をつくることなどは中々出来ません。こういう「格差」はなかなか捉えにくいですね。


 となれば、単純に統計上の賃金や消費だけではなく、そこに映らない「最下層の」「若者の」全人格的なルポルタージュが必要になってきます。全生活や人生を掬い上げることで、どの程度貧困で格差があり、漏れているのか理解が進むでしょう。雨宮処凛『生きさせろ』は中でも特に「難民化する若者」に焦点を当てたところが注目される本なのです(非正規雇用者も女性のパートタイム労働や高度専門的な派遣などもありますから若年労働者に限ってみるのは大切な視点です)。


 ここに書かれた若者の現状はどうか。まさに地獄です。働いても働いても豊かにはならず、働きすぎた末に死んでいく若い労働者。アスベストの粉塵が舞う中軽装備で仕事を行わせ、違法な労働を繰り返す企業が咎められずに搾取し続けている実態。住宅費用も払えずネットカフェを行き来する準ホームレス、生活保護を申請したり、労働法を盾にして抗議できない人々・・・。


 果たして彼ら若い非正規雇用者の生き方による「自己責任」のみに問題は還元されるのか、どんなに新自由主義が労働者を苦しめているか、靖国神社がどうだこうだ等、やや左翼・労働者に偏重した視点が主となって取り上げられていますが、私はそういう思想的・社会的な論じ方ではなく、ワーキングプアの若者に迫るルポルタージュを望んでいました。ここは内容的にも残念な点ではありましたが、とても興味深い本です。








■変わるユニオン


 労働者にとって「組合」はとても重要な武器です。組合との団交は資本家の義務ですし、団結すれば労働者の地位は高まります。ところが、既存の労組は「第二人事部」「企業内労組」と揶揄される御用組合の性質がありました。また、「平和」や「反戦」に熱心になり、労働問題と直接には関係ない政治動員をかける事も加入が忌避される理由です。「資本主義体制の打倒」のような過激な団体や人々もいました。そのためか組合の組織率は18%程度にまで落ち込んでいます。これは諸外国と比べても、実効的な力を確保する上でも十分な数字ではありません。


 労組は「正社員労組」として貧困になりやすい非正規雇用者をアウトサイダーとして扱ってきたような気がいたします。そんな中、05年、連合の会長選では非正規雇用対策を訴える鴨桃代さんが予想外の得票数を得ました。結局、当選したのは高木剛氏でしたが、鴨氏の健闘は非正規雇用に対する一つのレスポンスだと考えられます。


 労働法は正社員だけのものではなく非正規雇用者も守ります。企業内労組だけを認めているわけではありません。そこで、地域的な連帯をもった非正規雇用者を守る労組が台頭してきました。現代の「駆け込み寺」ともいわれます。フリーターやパート、派遣といった人々の不満を代弁し、団交し、相談に乗る、そんな労組です。


 これらの労組にインターネットを通して参加するものもおり、インターネットの社会的影響力に大きな関心を寄せる私としてはとても興味のある話です(例えば2007年4月2日号の『AERA』参照)。非正規雇用中心の労組やインターネット労組、地域労組などが数多く生まれれば従来の労使関係、労働市場に変化が出るかもしれません。








■「格差議論」の末に


 本当に格差が広がっているのか、従来よりも貧困層は増えたのか、それは議論になっていますが、生活に事欠き、搾取されている人々はいます。「格差感」や「貧困感」の問題もあります。景気の冷え込みや増税、労働コスト圧縮の問題もあるでしょう。このような世情の中で既存の包括政党や労組が「難民化する若者たち」の声を吸収できなければ、階級政党色の強い共産党への加入者が増え、蟹工船がベストセラーになるだけではない、ちょっとした社会変動や意識変動が引き起こされる可能性があります。


 私は、規制緩和や自由化、財政健全化も大切ですが、違法・不当労働の駆逐、再チャレンジの増大(希望格差の縮減)、セーフティーネットの充実、公教育の強化も期待しています。



テーマ:労働問題 - ジャンル:政治・経済

教育勅語―昭和天皇の教科書 教育勅語―昭和天皇の教科書
杉浦 重剛 (2002/10)
勉誠出版

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■教育勅語を読む

「今日日、教育勅語でもないっしょ〜」
「教育勅語何ソレ〜?」
「教育勅語は軍国主義! 戦前回帰!」


こんな声が聞こえてきそうですが、皆さんは「教育勅語」を読んだことがありますか?
「教育勅語」はたったの315字で書かれた道徳の教えみたいなものです。
その315字の中にさまざまな意味が附されています。




   勅 語

朕惟フニ我ガ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我ガ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信ジ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ボシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ知能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進デ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ是ノ如キハ獨リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラズ之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
    
 明治二十三年十月三十日
   御名御璽




こう一読するだけでお気づきになると思いますが、この教育勅語そのものは、決して危ないものではありません。孝に博愛や勤勉、遵法精神、国を助ける気持ち、などの道徳を守るようにと教えています。これはごく一般的に守るべきであるとされる徳目ですね(君主・臣民の関係は今では不適当でしょうけど)。


「教育勅語」は何も臣民だけが守るべき道徳律ではありません。
それは皇族、華族、それに天皇陛下ご自身も守る道徳でもあります。
当時満13歳だった皇太子裕仁殿下(後の昭和天皇)は杉浦重剛の倫理の授業を受けておられました。杉浦はその御進講の中で「教育勅語」を君主が実践すべき重要な教えであるとして此れを重視しました。上記本は昭和天皇が受けられた杉浦の授業の草案をもとに出版されたいわば「昭和天皇の教科書」です。


杉浦重剛は何も昭和天皇に倫理を御進講した人物としてだけでなく「宮中某重大事件」(裕仁殿下と良子女王ご成婚に関し政界の重鎮達が反対して揉めた事件。裏には薩長の藩閥抗争があるとも言われる)に関わる重要人物としても有名です。夏目漱石の「模倣と独立」の中にも登場して下駄論争を繰り広げるような名物教師ですね(あれって杉浦重剛でしたよね?)。
長い白髭をたくわえたヤギのような顔が特徴的です。
(参照:近代日本人の肖像
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/112.html


さて、中身。
教育勅語を分かりやすく解説して倫理道徳を裕仁殿下に教えているものをこの私も受けることが出来るのは贅沢ではあります。楠公のことや乃木大将のことなどを例に引き教育勅語内の一句一句を分かりやすく丁寧になぞっていく、これは非常に分かりやすい。


そう、一句一句解説します。
例えば「朕」は中国の皇帝が始めに使った漢字で云々、「我ガ」(our)というところは複数を示すから皇祖皇宗とは君臣ともにの祖先であって日本国は1つの家の如きものである云々(この部分は受け入れられない人は受け入れられないだろうけれども)、各徳目については縦横無尽、古今東西から例を引き夫婦愛の意味、博愛の意味、朋友の価値などを一々説明していきます。
最後は御進講のための時間が少なかったのかマトメて解説していますが、それでも懇切丁寧。よく意を研究しています。まさに「教科書」みたいなもの。


この本、自分的にはかなり面白い。
教育勅語が廃止された現代社会。
教育勅語に、今一度手を触れ読んでみては如何でしょうか。
全肯定とはいかないまでも参考になるところ、
教えられるところがあると思いますヨ。



テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

本書『勝利者の悲哀』は昭和27年9月10日発行(当時の定価100円)の本です。

■内容概括

題名中の「勝利者」とは勿論、
日本を負かし占領統治をしている連合国(主に米国)のことである。
直接、徳富蘇峰氏がこれを書かれたのは朝鮮戦争の前だが
文中には米ソの角逐がアジアで起きることを予言する箇所があり
翁の慧眼を物語っている。

内容は米国外交の稚拙さを叱咤し、序で日本人論をその歴史とともに概括し、
占領統治体制の改革を論評し、将来の日米の親善の重要性を語るというものである。
簡潔な文体で記事は面白い。
基本的に難しいことは書いてはいないから漢字さえ知っていれば中学生でも読める。
筆致自体は当時日本を占領していた米国人に対する建白書にも似て、日本への理解を促すために書かれたと言うことも出来るほどだ。当時の頭脳の一人がどのように日米の間を考えていたのかを知る史料にもなる。



■対ソ外交如何

内容はまず米国はソ連に外交的に負けていると評する。
欧州戦ではまんまと東独に至るまでの東欧諸国を呑まれ、大東亜戦争の結果では洞が峠を決め込んだスターリンは労せずして戦略地である千島列島を得ることが出来、満州にも攻め入って中国赤化の端緒を作った。
ひいては日本までも赤く塗りつぶさんとまでしている。
近年の米国は対ソ政策を転換し漸次修正してきているがソ連を見誤り注意を怠って譲歩を重ねた結果、ソ連の肥大化や赤化の拡大を招いたとも言えるのである。


若し日本が伝統の政策を維持する事ができたらば、日本は確かに共産主義に対する、東亜の一大堤防となり、また東亜の禍乱を鎮定する一大秩序力となり、従って朝鮮に於ける三十八度線にまで、ソ連の支配を招くが如き事もなく、満州は勿論、中国全体に亙っても、共産党は皆無とは云わざる迄も、極めて微弱の勢力として、存在したと思はるる。然るに日本を日米戦争に追い込み、そのために日本自身の不幸は勿論、勝利者たる米国の不幸は、その世帯が日本に比すれば、百倍以上であるために、更に多大の不幸を招来したる事は、歴史の眼目から判決を下せば、勝利者の自業自得と云わねばならぬ


と透徹した指摘をする。





■日本は他に勝るほどの侵略性ありや?

日本という国はアジアにあっても
生来貧弱で文明的には支那・印度に比べれば後進の国である。
自然、大国中国に影響され、また警戒し、歴史を進めていった。
その日本が歴史上において課題としたるは一に民生(食料や人口問題)であり、二に国防である(翁自身は「民生」という言葉は使っていない)。今現代もそうだが占領時代、全世界の悪事は日本に押しつけられ、日本は最低最悪の国であり日本人は野蛮で侵略的だとかと言われていたわけだからこれに対して反駁し、理解を広めていこうというのは当然のことと言わねばなるまい。

徳富翁は本書でこうも語る。

以上の観察は、所謂大東亜戦争なるものにも、そのまゝ適用することができる。我等は決して東条の弁護人ではないが、東条が東京裁判廷に於て、陳述したる筆記を見れば、彼もまた自衛自給のために、余儀なく此の戦争は出で来ったるもので、徒らに外国を侵略せんがための、暴力的行動でない事を、弁明しているが、その行動は、必ずしもその云う通りに、行い得なかったにしろ、その目的とする所は、こゝに存したる事は、断じて疑いを容れない。日本は八千萬以上の人口を有っている。然るに日本人の常食たる米は、如何に精出して生産を奨励しても、六千万石を出づること僅かである。六千余万石の米で八千万人を養う事の不可能である事は、明白の事実である。米国の人達も、親しく日本を占領して見て、如何に日本人の食糧が、日本に取っては重大なる問題であるかを、知り過ぎる程知る事ができたであろう。しかも、内に於ては、その食糧に窮し、外に於ては、四隣の圧迫で、国土の安全が保障できないと云う場合には、日本国民は八千万人、立っても坐っても、いる事はできない場合であって、これ実に日本人に取っては、死活の問題である。そこで予は言う。日本人に平和を与えんと欲せば、第一は生活の充実を与えよ。第二に国防の安全を与えよ。



翁は織田豊臣の文明進取や徳川鎖国時代など日本史全体を論評概括しているが、それはともかく置くとして、大東亜戦争の遠因が、小国日本が人口においては本土だけでは養えず移民をしようにも日本人拒否を起こされたこと、あるいは資源材料をとめられて民生国防の両面を危うくされ、はたまた赤化や強国の圧迫、蛮民の暴行に警戒心を抱いたことなど、は上記した二つの面からの観察もまた可能といえる。

日本人論からすれば日本人は名誉を重んじ面子も見る傾向がある。ベルサイユ会議で、あるいはワシントン体制で、はたまた国連で、あるいは加州米国で、日本が如何なる仕打ちを受けたのか、それが如何に対外不信に繋がったかも見ねばならないのはある意味当然である。
日露戦争後に米国世論が急速な対日硬化をしたことも翁は指摘している。



■徳富蘇峰、占領憲法九条を語る

徳富翁は占領憲法の九条に関しても見る目は厳しい。平和愛好は敗戦を経、大惨禍を被った日本においては殊更望ましく思われるが、これこそ厄介な条項はない、という。戦争は互いがあってやることであり、「戦争やめた」と勝手に宣言したところで戦争が起きない、巻き込まれないという保証は全く無いに等しいのである。まして軍隊がなければ対外のみならず対内でさえ危険であることを徳富翁は肌で知っている。日比谷焼き討ち事件、あるいは戦後の朝鮮人による騒乱・破壊行動などを抑止したのは軍隊であり、軍隊をバックにした警察である。軍隊を無くせば如何なるか想像しなければならない。
現在も平和愛好家が宣っているが

自らの空中楼閣は勝手に建立しても、国民を駆って其の空中楼閣に入れんとするは、洵に笑止千万

なのである。
しかして著述当時の日本はどうか。ヌエの如き軍隊モドキを取り残し進駐軍がいなくなれば赤化・内乱の危機さえある。進駐軍に安全保障をやってもらい続けるわけにもいかない。米国には日本への懲罰や禍根を絶つ狙いもあろうが何時までも他国を守っていくわけにもいかないのではないか。今、現在も九条は厄介な問題である。



■日米関係を見据えて

徳富蘇峰翁は日米親善を謳っているように思う。
日本はアジアにおいて秩序を発揮しうる唯一無二の国であり、赤化の障壁にもなる国である。

所が打って変って、現在の如く、日本は漸く命からがらで、東亜の片隅に屏息し、米国は世界の雄国でありがなら、同時に世界の心配引受所と云う如き、多事多忙に取巻かれ、世界第一の富と力を抱えながら、一億五千万の国民は、明日にもまた戦争が始まらんかなどと、心配している情態を来したのは、まことに気の毒の至りである。或人の句に、
 お気の毒とは誰が言ふ文句
     勝つたアメリカざまを見ろ
とあるが、これは露骨殺風景の俗謡ではあるが、実際今日ほど戦勝者の悲哀が、覿面に暴露したる事は、古今無比と云わねばならぬ


有り様となり、

「米国も西に走り東に奔り、世界中の心配を一手に引き受けねばならぬような貧乏籤」

を引いた勝者。

結局、米ソ対立は朝鮮やベトナムへと向かった。
日本はアジア安定に貢献するべき存在との言葉は
冷戦構造が崩壊した今もなお見直すべきである。
私個人日米親善・日米同盟が東亜安定に役立っていると考えているが、どうだろうか。






徳富蘇峰氏は本文中に占領統治体制の良い面を評価しつつ悪い部分も指摘している。
連合国は間違った改革や無理ある転換もしたが、評価すべきこともし、また良く導いた部分もある、と私自身思う。しかし、無理な政策、無法な行為が現在に至るまでの日本を拘束しているという部分も確かにあるとも思っている。

A級戦犯容疑者になったことのある徳富翁は東京裁判に対しても何かいいたげだが、日米親善に傷がつかぬようその批判を

「我等は今こゝに古傷を暴いて、漸く再び旧交を回復せんとしつゝある日米関係に不快なる感じを挑発せんとするものではない。故に姑らく之を沈黙する」

としている。

徳富氏は東京裁判では弁護側を助ける意味で宣誓供述書を書き清瀬氏にコンタクトを取っている。こちらは小堀氏編の『東京裁判 日本の弁明』に所収されており比較的容易に参照出来る。

日米関係だけではなく「特定のアジア諸国」が東京裁判を持ち出してきた今、東京裁判に対する扱いも考えてみる必要があるだろう。

連合国の対日占領統治体制を見ることも面白いテーマになりそうではある。



■関連

東京裁判 日本の弁明―「却下未提出弁護側資料」抜粋 東京裁判 日本の弁明―「却下未提出弁護側資料」抜粋
小堀 桂一郎 (1995/08)
講談社
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裁判所に提出しながら却下を受けた弁護側資料を多数掲載した本。
なかには徳富蘇峰氏の宣誓供述書も。




※引用箇所はなるべく旧字→新字にしています(見落としもあるかも)。
 本来は旧字体です。

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