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看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム (小学館文庫)看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム (小学館文庫)
(2000/08)
織田 文二茶園 義男

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※以下、文章は2005年11月に「永久平和を願って」の碑へ行った時の感想を改訂したものです



 戦犯収容所「巣鴨プリズン」。巣鴨プリズンに対するリアリティーを戦後生まれの私は持っていません。上記の『看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム』という本を読みながらプリズンの絞首刑台跡地にある「永久平和を願って」の碑へ足を運んでみました。


 この本は主として写真資料で構成されています。巣鴨プリズンの中が一体どんな様子であったのか、収監されていた人々が一体どんな生活をしていたのかを写真から垣間見る事が出来る本です。戦後60年が経過した今、プリズンの中をビジュアルで見ることが出来るのは貴重なこと。プリズンのイメージを凡そながら掴めます。


 プリズンの絞首刑台(いわゆる「13階段の処刑台」)や13号鉄扉の写真、五つ塚や『永久平和を願って』の碑の写真も中には掲載されています。正直、これらの写真から複雑な感情を覚えます。私はこの処刑台で命を絶たれた人が実際にいたことを知っています。A級戦犯の東條さんや廣田さんだったり、BC級の戦犯であったりですが、その事実は私の記憶にも人間関係にも直接的に繋がっているわけではありません。


 東京裁判も処刑も活字中の出来事に過ぎないのです。処刑台そのものが持つどうにもならない薄気味悪さと同時に私ではその人の命、痛み、感情を直に感じることが難しいことを写真は教えてくれます。冷静さは歴史を見る上では重要ですが、「何か」を掴むこと、「語る」ことには支障が出てきます。






 プリズン跡地「永久平和を願って」の碑はJR池袋駅に程近いサンシャインビルの横、東池袋中央公園に建立されていました。公園そのものは閑静で、和やかな雰囲気がただよっています。その整備された公園の片隅、それなりのスペースが割かれた広場に「永久平和を願って」と刻まれた碑がその存在感を示していました。そこは昔、プリズン時代に処刑場だった、まさに、その場所です。



永久平和を願って




 「永久平和を願って」と書かれたこの碑は裏面に行くことも出来、そこには



碑 裏面





第二次大戦後、東京市谷において東京国際軍事裁判所が課した刑及び連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。戦争による悲劇をくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。



と記されていました。ひょっとしたら、この「永久平和を願って」や「戦争による悲劇をくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし」という碑文に違和感を感じられる方もおられるでしょう。どうして、「巣鴨プリズンの碑」や「絞首刑台跡地」という文面ではないのだろう、事実関係の記述だけで十分なんじゃないか、と。


 実はこの碑の建立には混乱と紛糾があったのです。


巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪
(2004/07/01)
上坂 冬子

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 現在、ノンフィクション作家として不動の地位を築いている上坂冬子氏の著書『巣鴨プリズン13号鉄扉 裁かれた戦争犯罪』には、この記念碑の建立に対して左翼側から激しい抵抗運動が起こり、「右翼のたまり場にするな」と主張、維持費・管理費を争って訴訟にまで発展した経緯が書かれています。


 昭和五十四年末にこの記念碑設立の案件が豊島区議会で最終段階を迎えるや、賛否両論が新聞紙上を賑わし「戦犯記念建設に反対する連絡会」という名の組織が各方面で反対運動を展開した
 建立の日時について豊島区側が長い間いわば言を左右にして確答を避けていたのは、この碑をめぐる左右両翼の対立に辟易し、無用の紛争を防ぐためであったと思われる。
 処刑台の跡地を保存することはすでに昭和三十九年七月三日の閣議で了解しているのだから、あらためて賛否を云々する段階は終わっているのだが、反対派の人々はこれがA級戦犯賀屋興宣法務大臣および田中角栄大蔵大臣の時代に決定されていることなどにちなんで論陣を張り「区民の公園を右翼のたまり場にするな」と道ゆく人に署名を呼びかけたりした。だが、実際にあの場所を史跡として保存すべく口火を切ったのは、戦争受刑者世話会理事長・藤原銀次郎で、閣議諒承の八年前に当たる昭和三十一年七月二十一日に法務大臣に宛てて請願している。(引用者略)
 碑の建立後、ほぼ二ヵ月を経た三十五回の敗戦記念日に、十一名の区民はその設置が違法であることの確認と、維持・管理費の支出差し止めを求めるべく、区長を相手どって訴訟を起こした




 この論争について参考のために昭和55年2月21日の参議院建設委員会での反対派議員の意見を引用してみましょう。発言者は共産党の有力者である上田耕一郎氏です。




昭和55年2月21日
参議院建設委員会
○上田耕一郎君 これもひとつ業界とよく話し合って、双方納得のいく解決をぜひ出してもらいたいと思います。
 それでは、次に、戦犯記念碑問題でお伺いしたいと思います。
 これはかなり大きな問題になっておりまして、テレビでも新聞でも報道をされている問題ですが、サンシャインシティの一画の西巣鴨第二公園にA級戦犯の東条英機らの戦犯記念碑建設の計画が進んでいるわけです。これは非常に重大な問題だと思うんですけれども、まず、建設省にお伺いしたいんですけれども、右翼団体がこれを非常に要望しているわけですね、聖地メッカということを考えている。それでいままでも、いま金網が張ってあって入れませんけれども、参拝したりお酒を捧げたりしているわけですね。それで区議会にこの請願書を出した跡地保存会の鶴見さんという会長は、これが建てられた後、今後、献花、お線香台、こういうものの設置も要求していくと言っているわけですね。そうすると、あの広場の狭いところにその碑ができるんだけれども、そんなのができて右翼団体がメッカ、メッカと言ってそこにお参りをして、お線香を立て花を捧げというようなことになりますと、公園としての機能が失われるという根本問題がまずあると思うんですね。だから都市公園法が制定されているその都市公園という目的から見て、右翼団体がメッカと呼ぶような、そういう計画が果たして好ましいと思うのかどうか、これをまず建設省の立場からお伺いしたい。




○上田耕一郎君 当時の法務大臣は賀屋興宣氏です。大蔵大臣は田中角榮氏。この二人の発議でこの閣議了解ができた。賀屋興宣氏という方はA級戦犯で無期刑に処せられた人物。御本人がA級戦犯で無期なんですよ、その人が法務大臣になった。このときに七つの団体がいろいろ陳情して、法務大臣として受けたわけですよ。その七つの団体のうち二つ、巣鴨会と遺族会は賀屋さん自身が会長なんですよ。自分が会長で陳情しておいて法務大臣で受けて、しかもA級戦犯で無期に処せられた人ですね。その人が田中角榮氏と二人でこの問題を閣議に持ち出してきた。賀屋さんは「戦前・戦後八十年」という著書の中でそのことを自分で認めています。「私は法務大臣当時、この跡地の保存ということについて閣議の承認を得ている。」と。御自分が極東裁判で無期刑を受けて、それでそれを保存することを自分で持ち出すというのは、これは考えられぬことですね。サ条約の十一条で極東裁判の尊重というのは日本は条約上の義務を負っているんですね。それを御本人のA級戦犯だった人が持ち出して閣議で了解をとる。これはもう本当に私どもは国際問題でもあると思うんです。





 上田氏の主張は


(1)SF条約第11条で東京裁判の尊重が義務化されているので、戦犯処刑の跡地を保存することは国際問題になる


(2)保存を閣議決定したのは「A級戦犯」であった賀屋氏であり、賀屋氏を会長とする団体を含めた多団体の陳情によっているのでダメである


(3)処刑地に合掌したり、線香を手向けたり、お酒を捧げたりする「右翼」がたまる。献花や線香をする「右翼」がいると公園の機能が失われる


これらのため碑を建設するな、というものです。


 私の意見を述べるならば、(1)のSF条約第11条は相当論争になっている問題です。この条文はアムネスティ条項との関連で「諸判決」という結果の執行を日本に継続させるための条文であるから東京裁判それ自体は正当化されておらず政府による批判も可能、とする意見がある一方で、第11条は「東京裁判」という枠組全体を指しておりSF条約調印によってこれを「受け入れた」ので政府による批判主張は出来ない、とする意見もあります(現在の政府見解は後者)。


 しかし、どちらの論をとったとしても、この条文は政府による東京裁判否定が可能かどうかに差を生み出す論点ですから、戦犯遺跡の保存が違法・不当であるという論拠にはなりえず、当然、国際問題にはなり得ません。SF条約11条をもとに碑建設を非難することは無理があります。


 (2)をいうならば保存を決めたのが賀屋氏であろうと、田中氏だろうと関係なく、関係者ほどかえって歴史保存の重要性を認識していた、という言い換えだって可能ですね。また、上坂氏の著書によれば最初の申請者は藤原銀次郎氏です。さらにm閣議は何も法相のみによる了解で成立するわけでもなく、多団体の陳情であるわけです。これに加え、慰霊や顕彰というよりも「永久平和を願う」ような碑になったということも(2)の主張を弱めさせるでしょう。


 (3)はどうでしょうか。確かに街宣車率いる迷惑右翼がたむろし、大仰な儀式を行い、絶叫するような光景は好ましくありません。私も轟音BGMの街宣車や威圧的な運動家やコスプレイヤーや暴力家や怒鳴り屋やそういう類の連中は好きになりません。しかし、国のために殉難した人間を慰霊するものを単純に「右翼」とカテゴライズするのはいかがでしょうか。この場所で家族が死んだとなれば遺族は手を合わせて祈りましょう。それも「右翼」になるのでしょうか。この当時では未来の出来事ですが、現在の公園を見れば、碑があることで公園の機能を阻害しているとはとても思えません。


 この他にも抵抗者たちは


(4)憲法前文は戦争指導者を糾弾し続けるよう国家に義務を課しているため碑を建設し免責することは違憲である


(5)碑を建設することは戦争肯定につながり区民の平和教育権を区が制限することになる


などとも主張しました(いずれも訴状を参照)。(4)は前文の法的価値とその解釈内容に激しく疑問を覚えますし、碑が戦犯の「免責」や「称賛」になっているとは思われません。(5)も同じで碑が戦争肯定の効果を生み出す目的をもって建設され、現実として効果を持つとは考えられませんし、「平和教育権」が成り立つのかは疑問が呈せられます。当然、裁判所の方でもこれら主張の説得力を否定しました。



 そもそも現代史における歴史「遺跡」としてプリズンの処刑台跡地を保存することには価値が十分あると私は思うのですが、どうでしょうか(「遺跡」と書きましたが記念碑であるのですから都市公園法施行令上は「教養施設」ですね)。ここで何人の体温が奪われ、どのような重い歴史が描かれたのか、各級の戦争裁判やプリズン、処刑の事実を伝えることには十分な価値があるし、「事実関係」を後世に伝えることは重要なことではないでしょうか。靖国神社と同じく「戦犯」は左翼にとっては悪であり、慰霊や顕彰どころか、碑によって後世に「場所の意味」を伝えることさえも許されない存在となっているのでしょうか。疑問を覚えます。


 このような建立論争と紛糾の中で区は不要な対立を避ける目的もあって当初の碑文案「戦争裁判の遺跡」を「永久平和を願って」に変更しました。これは碑建設が軍国主義復活にある、とする左翼の主張を覆し、建設の正当性を高めることになったのですが歴史遺跡の保存という「事実関係」を伝える碑から平和という「抽象表現」や「願望」の碑に変わったことは注目したいところです。






 この碑文変更の結果として、「戦犯記念碑」設置違法確認訴訟でも


東京高等裁判所
平成1(行コ)75 裁判要旨
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=05&hanreiNo=16448&hanreiKbn=04

2 特別区が設置した公園内に東京拘置所刑場の跡地であることなどを示す記念碑等を設置したことが戦犯の慰霊顕彰を目的とするもので違憲,違法であるとして,地方自治法242条の2第1項1号並びに4号に基づき提起された,同公園又は同記念碑等の維持管理費の支出差止請求並びに特別区長個人に対する同記念碑等の維持管理費相当額の損害賠償請求が,同記念碑等は歴史的事実を肯定的評価あるいは否定的評価のいずれも示すことなく,事実として記念する目的の下に設置されたものであって,その設置及び維持管理は違憲,違法ではないとして,いずれも棄却された事例



というように高裁は判断し、建立反対派の控訴に対して棄却判決を出しました。原審である地裁の判決を見るならば


東京地方裁判所
昭和55(行ウ)104 判決全文
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=05&hanreiNo=16767&hanreiKbn=04

  碑文作成者の意図は、むしろ右語句を、戦犯の処刑ではなく、第二次世界大戦及びこれに先行する戦争によつて戦争当事国及びアジア諸国等の関係国民が被つた幾百万にものぼる尊い人命の犠牲をはじめとする莫大な人的物的被害を意味するものとして使用したものというべきである。また、本件碑文の表現上からいつても、右戦争を念頭に置いて「戦争による悲劇」と言つた場合、社会一般の人々は、右の戦争当事国及び関係諸国の国民が被つた人命等の莫大な被害を連想するものと解されるうえ、本件記念碑の表面に前記のような永久平和を願う碑文が記載されていることもあつて、「戦争による悲劇」の語句を右のような意味のものとして理解するのに十分であるということができる。

なお、原告らは、戦争によるさまざまな被害のうち本件刑場跡地にゆかりがあるのはA級戦犯の処刑という事実のみであるから、本件碑文の「戦争による悲劇」は、A級戦犯の処刑という事実であると主張するが、碑文中に表示されている言葉の一字一句についてまで、原告らの主張するように記念碑の設置場所とゆかりのあるものとして解すべき必然性はないというべきであるから、原告らの右主張は理由がない。



(3) そして、本件記念碑及び本件施設に前記裁判及び処刑に対する肯定的評価又はA級戦犯に対する否定的評価が示されていないことは明らかであるから、結局、本件記念碑は、社会的客観的には、戦犯の処刑を含めた戦争裁判という歴史的事実を、肯定的評価あるいは否定的評価のいずれも示すことなく、ただ事実として記念する効果を有する記念碑であり、また、本件施設も右歴史的事実に対する一定の評価を示す効果を有しないものと認めるのが相当である。なお、原告らは、記念碑は、記念すべき事実を選んだ思想が前提にあるものであるから、単に事実のみを後世に伝えるものではないと主張するが、証人Jの証言によれば、記念碑には歴史的な事実を事実として伝える性格のものもあることが認められるから、右主張は採用することができない。

(略)

(四) 本件記念碑及び本件施設の主観的効果について本件記念碑が、前記のとおり、肯定的評価又は否定的評価を示さずに、戦犯の処刑を含めた戦争裁判という歴史的事実を事実として記念していることからすれば、前記裁判及び処刑に対する否定的見解又はA級戦犯に対する肯定的見解を有する人々は、本件施設に至つて本件記念碑に接することにより、右裁判及び刑の執行を想起し、これを不当とする思いを新たにすることになり、したがつて、このような見解を有する人々にとつて、本件記念碑は、右裁判及び刑の執行の不当性を記念する主観的な効果を有すると推認することができる。しかしながら、他方、右裁判及び刑の執行について肯定的評価を有する人々にとつては、逆に、刑の執行の相当性を記念する主観的な効果を有すると推認されるのであつて、歴史的事実を記念する施設におけるこのような主観的効果は、記念されている事実自体に対して個々人が有している評価の反映というべきものであり、歴史的事実に対しては多様な評価が存在することが通例であるから、一部の人々に対する前記のような主観的効果を以て、当該施設の性格を決定づけることはできないものといわなければならない。

(五) 以上によれば、本件記念碑は、戦犯の処刑を含めた戦争裁判という歴史的事実を肯定的評価あるいは否定的評価のいずれも示すことなく、ただ事実として記念する目的及び社会的客観的効果を有する施設として設置され、維持管理されているものと認めることができ、本件記念碑及び本件施設が、A級戦犯に対する極東国際軍事法廷による裁判及び同裁判によつて科された刑の執行の事実を不当なものとして記念し、戦犯を美化して戦争の犠牲者又は殉難者として後世の国民に印象づける目的ないし効果を有していると認めることはできないものというべきである。




などとして、判決文は同碑が偏っていないことを述べています。これら判決は同碑がA級戦犯を顕彰し、極東国際軍事裁判を否定するような内容ではない、としている点に眼目がある点に注目してください。


 「永久平和を願って」という碑文がこの判断を強めていることも分かりますが、私個人としては「戦犯裁判記念の碑」といったより事実関係を重視しする碑文が良かったように思います。







 「歴史」を伝える碑の意義とは一体何なのでしょうか。


 歴史を学ぶ、知る、研究するということは事実関係を洗い出し、蓄積することであります。たとえ、歴史を未来のための糧とすることがあっても、それは語ったり、教えたり、望んだりすることとは別儀の行為です。


 学ぶ、知る、という態度の他に、「教える」、「物語る」、「形作る」という態度もありえるでしょう。「碑」はまさにそういった「物語る」態度と「(事実関係を)教え伝える」態度、そして「形作る」態度(といっても強要的で後付け的なものだったが)の間で揺れていたのではないでしょうか。


 さて、私はこの碑の前に立ったその瞬間に、プリズンや処刑された人々が現実に存在していることを「理解」することが出来ました。何故なら、碑には花束が幾つもそえられ、線香の跡が残っていたからです。誰かが来、そしてこの碑に花を捧げ、線香を灯した。それだけで歴史の「物語」を体感できます。陳腐な言い方をすれば、殉難者の体温がまだ残っていること、処刑された人々と私がこの国や歴史を媒介して関係していること、感情が渦巻いていることに気付かされるのです。この碑は単に事実関係を伝える、単に願望を吐露する、ということだけでなく、碑を見るものとのコミュニケーションをつくり物語ることをもしているのではないか、そんな風に感じました。


 この碑のあり方は「事実関係を伝える」以上の意義を私は感じます。激しい抵抗運動に負けず、無事に建立されたことは歴史の事実関係を伝える意味でも物語るという意味でも喜ばしいことです。ただ、願わくば、それが極右・極左によって邪魔されないでもらいたいものです。大仰な儀式、迷惑を省みない絶叫、パフォーマンス、デモ、そういうものは碑の意味をメチャクチャにし、公園機能さえダメにしてしまうでしょう。


 碑に語られている私もまた歴史の縁起の末端にいます。しばし何をして殉難者への言葉にすべきか沈思したが、ただ慰霊の気持ちを表す以外には何も出来ることがありませんでした。花も線香も持っていなかったし、「本当に碑の意味を汲み取れているのか」、と問われれば私のようなバカな人間では言葉に窮してしまうからです。ただ、手を合わせ心の中で冥福を祈りそのまま碑を後にしました。




※この碑へ行った方、興味のある方など訪問した感想や意見などをコメントしていただければ幸いです。



2008/08/04 「ですます」調に変えて若干追記いたしました
テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済




先に送信したコメント、削除してください(冷汗)。たいへん失礼いたしました(また冷汗)。

さて、

>この記念碑の建立に対してもサヨク系の人々が激しく抵抗し、「右翼のたまり場にするな」と主張、維持費・管理費を争い訴訟にまで発展したという

赦せませんなぁ、こういう輩は(怒)。
なんで、「右翼のたまり場」なると言い切れるのでしょう。
【2006/08/30 20:36】 URL | おしょう #-[ 編集]
>先に送信したコメント、削除してください(冷汗)。

削除しますた(笑)

>なんで、「右翼のたまり場」なると言い切れるのでしょう

論としては「右翼」が処刑者に線香を手向けたり、手を合わせたりする、「戦犯信仰のメッカ」建設を狙っている、とか、あるいは「A級戦犯」の賀屋さんが法相の時に処刑跡地の保存を決定したのがイケナイとか、SF条約の11条から東京裁判を否定するな、とかまぁ、色々です。
極めて短絡的な発想としか言えません。

詳しくは昭和55年2月21日の参院建設委員会での上田耕一郎共産党議員の意見を見ると良いと思います。

歴史と信仰(慰霊)の両方を彼らは侮辱していると思いますね。
【2006/08/30 22:08】 URL | 何某 #6gUmEhdc[ 編集]
(多分)はじめまして。
ここの存在は映画「南京の真実」で知りました。我々後生のために、連合国の復讐劇の犠牲になられた諸先輩方に合掌。

tbできないようですのでURL貼ります。
http://nonbe.way-nifty.com/blog/2008/03/post_7f37.html
【2008/03/16 19:27】 URL | 練馬のんべ #-[ 編集]
>練馬のんべ 様

返信遅くなって申し訳ございません。
ここで処刑された方も日本の歴史を歩み作った先人です。
歴史の意味でも慰霊の意味でも意味ある碑だと思います。
合掌。
【2008/03/19 21:07】 URL | 何某 #B8avwsKw[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2008/07/14 19:54】 | #[ 編集]














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