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【小ネタ】チベット問題
 正直言うと、チベット問題について語れるほどこの問題に自分は詳しくありません。というよりも無知に等しいといっても過言ではありません。ですから、かなり大雑把な記述しか出来ないことはご了承ください。



1、中国のチベット支配


 中国のチベット支配自体は「農民階級の解放」ならぬ侵略以外のなにものでもないと思うのですけれど、中国がチベットの独立運動を阻止するのは政治の上では当たり前の話だとも思うわけです。


 中国はチベットを不可分の領土と認識しているためその独立を阻止にかかるでしょう。また、チベットが独立してしまうとウイグル、台湾、その他の少数民族に計り知れない悪影響を及ぼすでしょうから中国としては絶対に抑えこまなければいけないわけです。それに、チベットは豊富な鉱物資源があるといわれてもいますし、南アジア(インド)への緩衝地帯としても役に立つわけです。 いずれにしても中国がチベットを手放すことはありえないし、自治権獲得も認めたりはしないという結論が出てくるわけです。


 そこを理解したうえで、どれほどの譲歩を中国から引き出せるのかが焦点になってきます。




2、人権侵害


チベットに対する中国の支配は人権侵害と密接に関わっています。拷問や虐殺、宗教の管理・抑圧、投獄に賄賂。チベットの独立支持派には勿論のこと、人権侵害は国際関心事項であって主権を超えて非難されるのがいまや国際社会の常識になってきています。「内政干渉」と中国は批判するかもしれませんが、「人権」と「自由」はそれを飛び越えて問題視されるようになってきているのです。どういう構成を取ったとしても事実上の人権侵害がある限り主張の上では中国は不利です。


まして、今回のデモ鎮圧では露骨な威圧、武力鎮圧が行われました。デモの真相は中国が国際調査団の受入拒否をし、各国の報道関係者、外交員を締め出した以上、おそらく闇に葬られたままで明らかにはならないでしょう。しかし、かつての暴動鎮圧の経験、事件発生の衝撃的な映像、調査を受け入れない中国への不信が相俟って世界は弾圧を確信しています。中国は「未解明」と「真実不明」を盾に各国の忘却と中国の主張への支持を期待していますが、北京オリンピックと重なって市民の声が強い民主主義国相手では上手くいっていないのが現状です。



3、今後


私が設定する問題解決の最低満足ラインはチベットへの人権侵害停止、宗教活動の自由です。人権侵害さえなくなれば一応、チベット問題は世界的にも沈静化するでしょう。しかし、その望みは中国の体制そのものと相反するためとても薄いものになっています。


 世界各国や人権NPOなどは少しでも事態を進展させるために、「取り敢えずはダライ・ラマと直接会談を」と持ちかけていますが、ハードルの高い条件を提示し、頑なに各国の「不介入」を叫び続けているのです。


 権力たる国家、まして民主主義も言論の自由もない国家が自らの主張を放棄し、政策が転換されるのは利益と大幅な体制改革がなされなければ起きません。相手国の理解や(人権)意識を期待するのは無謀といえるでしょう。その歯痒さ、人権改善へのアクセス経路の不在が各国での五輪妨害へ繋がっているような気が致します。


 五輪は世界の耳目が集まる格好のアピールの場です。中国側においても、チベット問題解決を望む者においても、その事実を認識しています。そして、チベット問題になんらかの進展を臨む側はアピールと声を上げることしか出来ないのです。「どうか我が国の政府よ、チベット問題を!」「中国よ、意識を変えよ!」「世界よ、チベット問題を知りたまえ!」、と。


 近代オリンピックを開始したクーベルタンの理想には「国際平和」がありました。


「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)

JOC




そして、オリンピック憲章にはこうあります。


オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることである。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。




 近代オリンピック開催から1世紀を経て、商業主義の蔓延、国際政治からの影響など数々の変化と問題が提起されています。


 私はチベットの生命財産、そして信仰と言論に対する人権侵害がある限り、憎悪と不信を掻き立てる妨害行為を除き、単なるアピールを否定することは出来ません(ボイコットはスポーツの祭典への侮辱である反対です。また聖火ランナーを初めとする選手・参加者・サポーター・スポンサーへの無意味な批判にも反対です)。それはオリンピックが示す人間の尊厳の保持、平和な社会の建設に一致するからです。
 




4、今回の騒動の関心事


チベットデモ弾圧に関するいくつかの報道がありました。欧米の先進諸国をはじめとして大きな議論が生まれました。


 その中で私も最も関心がいくのはインターネットを通じた東京デモの盛り上がりです。人権擁護法もそうだったのですが、私は運動の「主張の中身」はそこまで関心が行かず、運動の盛り上がり方、発生の経緯について興味を覚える性質なのです。


 ここ10年で、インターネットが普及し、高速化した流れの中で、皆さんは世界が変わったことに衝撃を覚えたでしょうか?


  この変化は「革命」といっても過言ではないような気がするのです。近代の流れ、新聞やラジオ、テレビが普及していった大衆情報媒体の時代は、情報の受け手にとっては受身一方で現場との距離感を感じさせ、それでいて自分は何も出来ない、そういうものだったのです。


 金銭的余裕や時間的余裕といった理由から情報収集・分析を政府やメディアに依存している近代人にとって、情報を収集し、分析し、提供してくる新聞、ラジオ、テレビ、教育機関の「全自動情報マシーン」は絶大な影響力を誇り続けてきました。


 自由が尊重され、民主主義が普及していく中で国家という強大な情報権力とともに、マスコミが権力視されていったのもうなずけるところです。社会学では非組織集団論が研究され、強力効果説が唱えられ、オピニオンリーダー論や議題設定効果といったマスコミ理論も発展されていきました。


 マスコミは今も力を持ち続けています。多くの話題は彼らの取材力・分析力に依存して発展していっています。ですが、決定的に今までと違うところがあります。それは個人が表現者になったことです。我々は今までに何か言論を喚起し、何か作品を発表し、何か影響力ある行動することが出来たでしょうか?


 言論を発表するには良い大学を出、学位を受け、権威を獲得し、本を出版して、テレビに出演する必要がありました。映画を作るためには修行と年月と人脈と幸運と高い機材が必要でした。影響力ある行動するためには記者の知り合いと指導者と同質の仲間が必要だったのです。


 ですが、今はそうではない。人権擁護法案が問題と思えばそれを全世界に向かって唱えることが出来る、映画を発表したいと思えばニコニコ動画なりyoutubeなりにアップロードすればいい、行動するには巨大掲示板とメーリングリストとSNSに頼ればいい。情報は簡単に流通し、そして簡単に収集でき、簡単に集約することが出来る。これはエポックメイキングです。


 それはニコニコ動画やyoutubeや携帯小説などといった娯楽にとどまらず、社会運動・政治運動に波及しているのです。受身の受信者から能動的な受信者が生まれ、ブログが書かれ、コメントが着き、それを見た人がまた話題にする。単なる情報と発信のゴミの山がそれ自体、大きな流れを形成したりもする。


 今回のチベット問題での予想外の参加者数、盛り上がり、それは一つの時代の現れなのです。あのデモを支えたインターネットの力で何人がチベット問題に興味を抱いたか。人権擁護法反対運動然り、杉並区教科書採択騒動然り、『嫌韓流』騒動然りです。


 「関心のある有識者や活動家の運動⇒大衆への周知」といった構図ではなく、「周知⇒大衆の運動」といった構図も見えます。「大衆の群衆化」、「情報権力への反逆」、「個による連帯」そんな研究も出来るかもしれません。いずれにしても インターネットコミュニティーや非組織集団に対する分析は副次的で「表現機会の自由化」、これこそが今後の「面白いテーマ」になりそうです。


 「チベット」問題とはいいながら、大幅な話しの脱線の上の妄想駄文、申し訳ございません。
コメント
この記事へのコメント
先般ある女性タレントによる「羊水が腐る」発言騒動のとき、マスコミはこれをネット市民による「いじめ」であると断じました。では、ちょっと前までボクシング一家や外国人横綱を袋叩きにしていたあれは何だったのか。それはさておき、彼らにとって「くいぶち」でもある芸能人を擁護の側にまわるのは理解するとして、これもインターネットという新しい発信媒体へのライバル意識(?)の現れのような気もします。これから人間はインターネットの生き物になっていくのかもしれませんね。リクエストを取り上げていただきありがとうございました。
2008/04/19(土) 14:45:21 | URL | 名もない軍属 #-[ 編集]
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2008/04/19(土) 23:02:12 | | #[ 編集]
>名もない軍属 さま

全くチベット問題は詳しくないのでロクな記事が書けませんでした。すいません。


>>インターネットという新しい発信媒体へのライバル意識(?)

マスメディアに属する人は相当危機意識を持っているようです。毎日や産経はMSと手を組んだり、海外のメディアを参照したりして、どのように融合すべきか、産業がどうなっていくか、かなり神経質になっているように感じます。

今後、マスメディアはより寡占、より巨大になっていくという観測もあります。そもそも寡占にある日本の情報産業がこれ以上となれば・・・。

個人が効果的に情報発信出来る唯一の媒体がこのインターネットですから、ここは死守し、言論市場の自由化、市場の適正化を訴えたいところです。
2008/04/19(土) 23:09:46 | URL | 何某 #-[ 編集]
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2008/04/20(日) 00:08:50 | | #[ 編集]
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